トピックスこちら「はやぶさ2」運用室:No.11

「はやぶさ2」 火星観測期間とトレードオフ


先日はやツー君がツイッターにて紹介してくれましたが,最近のはやツー君は火星観測を頑張ってくれています.今回の観測は2016年5月24日から6月9日までおよそ2週間強に渡って計画されていて,光学航法望遠カメラ(ONC-T)などを用いた観測が予定されています.観測結果については「最新情報」でお伝えしていますので,今回の「こちはや」では火星観測がなぜこの時期に計画されたか,その理由を少し紹介します.

巷では地球が火星に11年ぶりの接近を果たしたと報道されていましたが,昨年12月の地球スイングバイによりRyuguへと舵を切った「はやぶさ2」も地球と同様に火星へ接近を続けてきました.図1をご覧下さい.昨年のスイングバイ以降の「はやぶさ2」と火星・地球の距離を予測も含めて1年分示しています.図1の黒線を見ると,地球と火星の距離はスイングバイ時には約2 [au](au:天文単位,太陽と地球との平均距離に基づいて定義された長さの単位,1[au]は約1.5億[km])も離れていましたが,2016月5月30日(日本時間31日)に約0.5[au]の距離で最接近し,既に遠ざかり始めています.一方の「はやぶさ2」は2016年7月23日の最接近(0.22[au],地球と月の距離の約86倍)に向けて今も火星との距離を縮めていることが分かります.一般的に観測対象が近いほどより詳細なデータが取得できるため,この様な「観測性」の観点からは最接近の7月23日に観測を行うべきと思えます.それではなぜ今の時期に観測することとしたのでしょうか?理由はいくつかあります.

一つ目は「通信レート」です.図1を見ると,昨年12月のスイングバイ以降「はやぶさ2」は地球との距離を伸ばしています.地球との距離が遠くなると一度に探査機より地球へ送ることの出来るデータ量(通信レート)は小さくなってしまうため,観測データを保存しているメモリが早く一杯になってしまい,観測の頻度を落とさなければなりません.図1によると特に6月以降はそれまで以上に地球から急速に離れていくため,多くの観測を行うならば「通信レート」の観点では早いに越したことがありません.

  • 図1:「はやぶさ2」と火星・地球の距離
    (*1) 1 [au] = 149 597 870.7[km],地球から月までの平均距離(*2)の約389倍
    (*2) 地球から月までの平均距離:384 400[km]

次に図2をご覧下さい. 5月24日~6月9日の期間を通して,太陽・「はやぶさ2」・火星の為す角(火星から見た「はやぶさ2」の太陽位相角)が170[deg]を超えていますが,これは言い換えると太陽・「はやぶさ2」・火星がほぼ一直線に並んでいるということです.何か気づいた方はいらっしゃいますか?そうです,「電力」です.皆さんご存知の通り,探査機の太陽電池パドルに太陽光が当たることで「はやぶさ2」は発電し,働くことが出来ます.太陽電池パドルの面に対してなるべく垂直に太陽光が当たるとたくさん発電でき,垂直方向に対して太陽光が斜めから入射してしまうと発電量は小さくなってしまうため,観測機器を火星へ向けたときに太陽が探査機から見てどの方向にあるかという点は観測期間を決める上で大切な要素の一つです.太陽電池パドルが付いている方向(探査機座標系で+Z方向)とONC(光学航法カメラ)などの観測機器が向いている方向(探査機座標系で-Z方向)は反対ですから,今の時期に観測機器を火星へ向けると,太陽光についても太陽電池パドルの真上から降り注ぐこととなり,「はやぶさ2」は電力について心配することなく観測を継続することが出来ます.このことは化学推進スラスタの「消費燃料」にも関連しています.普段の探査機は太陽電池パドルを太陽に向けた姿勢(太陽指向姿勢)を保っているため,火星観測のためには前述の観測機器を火星へ向けた姿勢(火星観測姿勢)への姿勢移行が必要となります.図2より火星から見た探査機の太陽位相角が180[deg]付近の現在と比較して最接近の7月23日では130[deg]近く,火星観測姿勢への移行角度がより大きいことが分かります.姿勢移行の角度が大きくなると化学推進スラスタの消費燃料も増えてしまうため,この点でも今の時期は火星観測に適していると言えます.

  • 図2:太陽・「はやぶさ2」・火星の為す角

以上,火星観測時期の決定に関わる要素をいくつかご紹介しましたが,「観測性」では最接近の7月23日が適している一方で「通信レート」や「電力」の観点では必ずしも適しておらず,逆に5月末の時期は「観測性」に関しては劣る一方で「通信レート」や「電力」の観点では適していることが分かります.この様な関係を明らかにして候補を絞ることは一般的に「トレードオフ」と呼ばれ,今回の火星観測期間はこのトレードオフを実施した結果として決まりました.これは「取っておいたプリンを夜中に食べるか朝食べるか」など普段の生活で意識せずに行っていることと変わらない,とても身近な活動です.夜中にプリンが目の前にあったら,食べたいけど迷ってしまいませんか?決断するためにプリンの摂取カロリーを見てみたり,「それでも今食べるプリンが一番美味しいんだ」と自分に言い聞かせたりする訳です(笑)

小惑星Ryuguへ向けた巡航期間とは言え,はやぶさ2プロジェクトでは火星観測の他にも多くの運用が計画されています.その一つ一つを成り立たせるため,プロジェクトメンバーは「プリンをいつ食べるか」を日々真剣に考え続けています.

はやぶさ2プロジェクト Yuto Takei
2016.06.07